ラジオ体操の誕生
アメリカから日本への伝播
ラジオ体操とは、ラジオを介して伝えられる体操のことを指します。始まりは1922年、遥か海の向こう、アメリカのボストンという都市で放送されたものが最初とされています。それがどうやって日本へと渡ってきたのでしょうか?
実は、アメリカでは1925年にある生命保険会社が、国民の健康を増進するために体操の放送を開始しました。この動きを日本の関係者たちが耳にし、「日本でもラジオを使った健康体操を始めてみたらどうだろう?」という考えが芽生えたのです。
日本での初のラジオ体操
そして1928年、当時の放送を担っていた日本放送協会と、教育や文化を担当する文部省が手を組み、「ラジオ体操第一」というプログラムを制作しました。これは、家庭の中、学校や公園などで、ラジオの音楽に合わせて手軽に体を動かせる内容となっており、翌年から全国での放送がスタート。すると、この新しいスタイルの体操は大変な人気を博し、その後の「ラジオ体操第二」や「ラジオ体操第三」の制定へと繋がっていきました。
終戦―新ラジオ体操の制定
戦争とラジオ体操
終戦を迎えると、ラジオ体操は一時中断。しかし、その中断は長く続かず、わずか10日後の8月23日には再開されました。この速さからも、日本人のラジオ体操に対する愛情の深さが伺えます。
しかし、このラジオ体操が「軍国主義の復活に繋がる」という理由で、当時日本を監督していたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から指導を受け、放送が一度中止となりました。
「新ラジオ体操」の誕生と終焉
そこで日本側は、新たに「新ラジオ体操第一~三」というプログラムを制定して放送を再開。しかし、この新しい体操は前の体操ほどの人気を集められず、やがて放送は再び中止されました。特に、「ラジオ体操第三」はその後、再制定されることがなかったため、「幻のラジオ体操」とも呼ばれています。
現在の「ラジオ体操」が登場
NHKの役割
1951年、日本の公共放送として再編されたNHKが、新たに「ラジオ体操第一」を制定。ここでの作曲を手がけたのは、クラシックの世界で著名な音楽家、服部正さんでした。
彼の独特なメロディーと、誰でも簡単に参加できるように設計された運動が組み合わさり、再び日本中で大ブームが巻き起こりました。
ラジオ体操の進化
その後も、ラジオ体操は進化を続けていきました。例えば、1952年には、「ラジオ体操第二」が制定されました。この第二は、特に職場での運動を意識して作られており、「体を鍛え、筋力を強化する」というポイントが強調されています。これにより、多くの職場での健康維持の一環として取り入れられるようになりました。
誰もが楽しめる「みんなの体操」制定
新しい時代の新しい体操
1999年、新たな時代を迎える中で、年齢や性別、身体の障がいの有無を問わずに、誰もが楽しめる体操として「みんなの体操」が制定されました。
この「みんなの体操」は、狭い場所や、座ったままでもできる運動が取り入れられており、多くの人々に支持されています。また、この体操の発表記念式典には、政治家やNHKの役員など多くの著名人が参加したことからも、その重要性が伺えます。
いかがでしたでしょうか。ラジオ体操の歴史は、日本の近代史とも深く結びついており、様々な背景や時代の流れを感じながら楽しむことができます。これを機に、日常生活の中でラジオ体操を取り入れ、健康的な生活を送る一助としていただければ幸いです。
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