ゲットー出身のスーパースター、ボビ・ワインの挑戦
「ウガンダのネルソン・マンデラ」と呼ばれる男、ボビ・ワイン。彼の正式な名前はロバート・チャグラニ・センタムで、彼は元ミュージシャンで現在は国会議員。そして、この男は2021年1月14日にウガンダの大統領選挙に挑戦し、30年以上にわたるムセベニ大統領の独裁政治からの解放を訴えました。
ボビ・ワインは、ウガンダの首都カンパラのスラム地区、カモーチャ出身。彼は1990年代後半に音楽活動を開始し、2000年代初めには東アフリカでレゲエとアフロビートの大スターになりました。スラムからスーパースターへの昇進。しかし、彼の成功は彼自身を変えるきっかけとなる事件を引き寄せることになります。
ある晩、愛車のキャデラックでクラブに向かったボビ・ワインは、ある男から暴力を受けるという事件に遭遇します。男は権力者とつながりがあると語り、ボビ・ワインを殴り、銃を突きつけました。「おい、ゲットー、ちょっと成功したからって調子にのるなよ」。この事件をきっかけに、ボビ・ワインは自分の地位や成功がどれほど偉大でも、権力者の前では何も意味をなさないという現実を痛感します。
ゲットー大統領の誕生と活動
この経験から、ボビ・ワインは社会問題に目を向け始めます。エイズや貧困といったテーマを歌詞にし、自分の音楽を通じてメッセージを発信し始めます。「Ghetto」ではスラムの取り壊しを批判し、「Dembe」では平和な選挙の実施を訴えた。また、新型コロナウイルスの感染拡大に対しては、「Corona Virus Alert」という啓発ソングもリリースしました。
ボビ・ワインは慈善活動にも参加し、2014年には国際NGOセーブ・ザ・チルドレンの親善大使になりました。その活動から、「ゲットー大統領」と呼ばれるようになりました。
しかし、彼の国、ウガンダでは1986年以降、ムセベニ大統領の独裁政権が続いており、政治家と金持ちだけが決定権を握り、スラムの人々や貧しい農民たちは社会保障もなく、苦しい生活を強いられていました。この状況を変えるため、ボビ・ワインは2017年に国会議員に立候補し、ムセベニ大統領率いる与党「国家抵抗運動党(NRM)」の候補の5倍以上の票を得て当選しました。
大統領選への挑戦と抑圧
しかし、国会議員となってもムセベニ大統領の横暴を止めることはできませんでした。その後の出来事がムセベニ大統領の力を如実に示すものでした。2017年、国会は大統領選挙に出馬するための条件である75歳以下という年齢制限を撤廃し、ムセベニ大統領は2021年の大統領選にも出馬できるようになりました。
ボビ・ワインはこの状況を打開するため、2019年9月に大統領選への出馬を表明しました。しかし、彼の挑戦は政府からの弾圧を招くこととなります。
ボビ・ワインへの弾圧と抵抗
ボビ・ワインがウガンダの大統領に挑む決意を固めると、弾圧が始まりました。彼の自宅には手榴弾が投げ込まれ、警察に拘束され拷問を受けました。
どのような過酷な状況下にあっても、ボビ・ワインはその勇気と決意を失うことはありませんでした。彼は自分が経験した人権侵害を世界に伝え、多くの国際メディアが彼の話を報じるようになりました。彼はまた、その抑圧を経験した一人として、国内外で多くの賞を受賞し、人権の擁護者としての地位を確立しました。
2021年の大統領選に向けての戦いは、彼にとって生きるか死ぬかの問題でした。彼は選挙運動中も何度も逮捕され、支持者たちは警察によって攻撃されました。しかし彼は諦めませんでした。彼のキャンペーンのスローガンは、「我々は新しいウガンダを作るために戦っている。我々は、より良い明日を見るために戦っている。我々は、我々の子どもたちが今よりもっと良い世界で生きるために戦っている。」でした。
結果的に、2021年の大統領選では、公式の集計によれば、ボビ・ワインは34.8%の票を獲得し、ムセベニ大統領は58.6%の票を獲得しました。しかし、選挙はムセベニ大統領の圧倒的な優勢にもかかわらず、多くの人々が投票に行き、ボビ・ワインを支持しました。
ボビ・ワインは選挙結果を受け入れず、結果の公正性に疑問を呈しました。彼は「私たちは勝利を盗まれた。しかし、私たちは決して諦めない。私たちの闘いは続く」と述べました。
その後もボビ・ワインは、ウガンダの政治的状況を改善するために戦い続けています。彼の挑戦は、自由と公正な選挙を求め、社会正義を求め、ウガンダの人々の声を聞かせることです。
この記事は、ボビ・ワインがいかにして元ミュージシャンから社会運動家、政治家へと変身したか、そして彼がいかにして自分の国の独裁政権に立ち向かう決意を固めたかを追いかけています。彼の物語は、音楽を通じて社会を変えようとする人々、特にアフリカの青年に大きな影響を与えています。
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