五稜郭の秘密 星型の理由とその革新的な防衛戦略は稜堡という西洋の防衛スタイルだった件

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五稜郭
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北海道の象徴、五稜郭の存在

北海道・函館にある五稜郭は、その独特な星形の形状から一見すると一種の美術作品のようにも見えますが、その形状は実は非常に合理的な理由から生まれました。それは五稜郭が戦闘環境を想定した、全く新しい形式の城だったからです。

五稜郭は、1864年に完成し、戊辰戦争で新政府軍と戦う旧幕府軍が最後に立てこもった場所として知られています。その特徴的な形状は、日本の伝統的な城とは異なる存在感を放っています。

星形の由来 – 稜堡という西洋の防衛スタイル

五稜郭の形状を決定づけたのは、稜堡という防御スタイルでした。稜堡は、大砲などの火器の登場した以降、西洋の都市で発達した防御スタイルです。五稜郭の星型は、この稜堡を5つ持つ形状から生まれました。

稜堡の進化とその役割

火器の発明以前、西洋の都市はレンガや石でできた高い城壁や塔で防衛されていました。しかし、大砲が発明されると、これらの施設は標的となり、砲弾によって生じた破片により多くの負傷者を生むことがわかりました。

これに対応するため、城壁は低くなり、衝撃を吸収できる土を盛り上げた稜堡へと変化していきました。稜堡はまた、大砲が設置され、反撃に有利に機能する目的もありました。

五稜郭の革新 – 稜堡の採用

五稜郭の設計者である蘭学者の武田斐三郎は、これらの西洋の築城技術を参考にしました。彼は、射撃の死角を消すために、複数の稜堡を設置することによって、守備の際には各稜堡からカバーしやすく、また攻撃の際には射線が交差し、敵に対して被害を与えやすい形状を考案しました。

五稜郭 – 西洋の最新技術と日本の伝統が融合した要塞

その結果、五稜郭は、西洋の最新の防衛技術と日本の伝統が融合した、独特な形状の要塞となりました。星形の形状は、防衛の最前線であり、すべての方向からの攻撃に対応するための設計だったのです。

五稜郭は、一見すると美しさだけが目立つかもしれませんが、その形状と構造には深い意味と合理性が秘められています。それは、時代とともに変化する戦闘環境に適応し、最高の防衛力を発揮するための知恵と技術の結晶だったのです。

このように、五稜郭の星型の形状は、ただ美しいだけでなく、その背後には深い歴史と技術的な洞察があることを知ることができます。五稜郭を訪れる際には、その美しい風景だけでなく、その形状が持つ意味とその背後の歴史を感じ取ることができれば、より深い理解と感動を得られることでしょう。

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