人穴浅間神社の基本情報
まず始めに、神社の基本情報からお伝えしましょう。人穴浅間神社は静岡県富士宮市に鎮座しており、その歴史は富士山信仰の源流にまで遡ります。富士講の開祖である藤原角行がこの地で修業と入滅を遂げたことで知られています。
この人穴浅間神社の名前は一見すると、何やら謎めいた感じを受けますが、これには特定の由来があります。約7000年前、富士山の側火山である犬涼み山が噴火した際に出来た溶岩洞穴が「人穴」であり、人が住む洞穴として使われていたことから、この名がついたと言われています。
この人穴地区に建つのが人穴浅間神社で、創建は1648年とされています。新しいと感じるかもしれませんが、これは神社としての創建年代で、人穴洞穴そのものは古くから存在していました。
神々との出会い:ご祭神たち
次に、この神社のご祭神について解説します。ご祭神は、木花之佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)、藤原角行、源家康朝臣(徳川家康)となっています。一見、徳川家康が神として祀られているのは意外かもしれません。しかし、これには面白い伝説があります。
伝説によれば、戦国時代に甲斐武田氏の残党に追われていた家康を、人穴で匿った行者が富士講の開祖・角行だったと言われています。そのとき、角行は、家康により戦乱の世が終わることを確信し、その結果として家康を匿ったのです。こうした因縁から、人穴浅間神社では徳川家康も祀られることとなったのです。
人穴浅間神社の伝説:車で鳥居をくぐると…?
神社の鳥居をくぐることで事故に遭うという、驚くべき都市伝説が存在します。この話はネット上でも度々取り上げられ、境内では心霊現象の報告もあるため、心霊マニアの間で知られるようになりました。
しかし、筆者自身、何度も車で鳥居をくぐっていますが、未だに事故に遭ったことはありません。心配な方は、鳥居を避けて通行することも可能です。ダイヤモンド富士が見える美しい景色を楽しみつつ、この神秘的な伝説を思い起こすことも、人穴浅間神社の一風変わった楽しみ方かもしれません。
人穴浅間神社と歴史的記録
最後に、人穴浅間神社と古代からの記録について説明します。人穴については古くから伝説があり、最も古い記録では、鎌倉時代の代表的な歴史書「吾妻鏡」に、人穴についての記述があります。
これによれば、健仁3年(1203年)6月、2代将軍・源頼家が巻狩りの道中、家臣の新田忠常に人穴調査を命じました。調査に入った主従6人は霊的体験をし、4人が急死。忠常は将軍から賜った剣を献上し、翌日やっと戻ることができたと記されています。
また、既に13世紀には人穴が神聖視されていたことが分かります。この人穴で修業・入滅をしたのが富士講の開祖・藤原角行で、16~17世紀には、角行は洞内で修行をし、悟りを得たとされています。
人穴浅間神社は、その神秘性と歴史性から、たくさんの訪れる人々に愛されています。これらの伝説と歴史を知った上で訪れると、さらにその魅力が深まることでしょう。
番組:ナニコレ珍百景
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